笑門来福ジャワ島日記

5児の母のインドネシア通信
  [ 陳情書(1) ]
2008-06-30(Mon) 08:23:37
すべての公的文書は、突き詰めれば「義務と権利の明記」なのだと、何かで読んだ。

対象者が、何ができて何ができないか。何をすべきで何をしなくてもよいか。
法律も、契約書も、すべてはこの4点に集約される。
ということは、雇用も賃貸も委託も利用も、すべての公的関係性は、義務と権利で説明できるということだ。
つまり、義務と権利がはっきりしている文書や関係ほど、わかりやすくてよいということになる。

でも、はっきり書けないことも多いのが現実。
「Aをしなければならない」だったらわかりやすいけど、「Aをするよう努めなければならない」だと途端にわかりにくくなる。何を持って「努めている」と認めるんだ?
「Aをするよう計画に盛り込まねばならない」などに至っては、もうAが目的なのか、計画が目的なのか(つまり盛り込んじゃったらそれでOKなのか)さえはっきりしなくなっている。

権利も同様。
「Bをすることができる」ならわかる。「Bをするよう要求することができる」となると、それが実現するかどうかまでは保障しませんよ、ということになる。
どんどん進んで、「Bがしたいと考えることができる」とかになると、もう権利の保障でもなんでもなくなっている。

ちょっとした陳情書を書く機会があって、こんなことを考えていた。
権利ばかり主張してたら要求を通すことは難しいけど、義務を明記して果たせなかったら、要求そのものの正当性さえ疑われかねない。
そういうものを書く時はつまり、自分達の権利と義務を突き詰めて考えることなのだと思う。

私たちは何がしたい、何をしてほしいのか?
そのために自分達がすべきこと、できることは何か?
そのどちらが欠けても、よい関係にはなり得ない。そして、その内容をできるだけはっきりさせておくことは、少なくとも公的な関係においては、有益なことだと思う。

といいつつ結局、権利については「ご高配くださったらありがたい」と書き、義務は、ちょっと無理そうなものはのぞいて、あとは「責任持って適宜対応」としか書けなかった。
権利も義務も行使するのは人間だから、難しい。

二人乗り


日本では見ない二人乗り三輪車
後輪を権利と義務だとしたら前輪は運転者の意思かしら
それにしても前者と後者の負担の差は大きすぎないか?
ここで思うことTB : 0CM : 2
  [ 持久走記録会 ]
2008-06-27(Fri) 13:14:42
学校では、毎週火曜日に業間運動がある。中休みに体力づくりをするもので、1学期は持久走、2学期は一輪車、3学期は縄跳びをする。
年中暑いので、運動は大変そう。だが、送迎は車で、あまり外でも遊べない当地では、学校で子どもの体力づくりをしてもらえるのはありがたい。

今日はその1学期の業間運動の締めくくりとして、持久走記録会が行われた。

我が子たちは、幸い夫に似て、どの子もそこそこ運動神経がいい(あくまでそこそこ)。けれど、体力系、反射神経系、瞬発力系など、それぞれ得手不得手はある。
この日も、コツコツ型の1号、3号は、中学生女子の部、高学年女子の部でそれぞれ2位に。短距離は得意だが持久力はない2号は、やっとゴール。

が、短かろうが長かろうがいかんなく力を発揮するのが4号である。
彼女の何が他人より優れているのかといえば、それはまぎれもなく闘志である。

とにかく小さい。1年生なのに、やっと100センチちょっとという、4歳児並みの大きさ。小粒ぞろいの我が家の中でも一段と小粒である。
でも意気地だけは、そこそこどころか、人の5倍くらいある。

この日彼女は、低学年女子の部に出走。
体が小さいので、押し負けてスタートは出遅れる。その後ちょこまかと走り、自分の1.5倍くらいある上級生を、どんどん追い抜いていく。歯を食いしばり、「負けたくない」一心で走っているのがよくわかる。短い足をくるくるとすばやく回転させて走る様は、滑車を回すハムスターのようである。
結果、2年の女の子、3年の女の子に続いて3位だった。観戦していた多くのお母さんからは、「4号ちゃん、小さいのにすごいねえ。」と感心してもらった。

ところが、本人は不本意だったようだ。
なんといっても今朝、目の中に炎を宿し、「4号は○○ちゃん(1位になった2年の女の子)についていく。そして最後に抜かす。」と宣言していたくらいだから。
練習でも一度も勝ったことがないのに。
その高いセルフイメージはいったいどこから来るのか教えてほしい。

おっとり型の子どもを持つママにはうらやましがられることもあるが、とんでもない。
猛獣を飼っているようなものだ。戦う時は勇ましいし頼もしくもあるが、反面気難しいし危険だし、普段のお世話はとっても大変なのである。自慢の牙は抜きたくないけど、ところかまわず牙を剥くのも困りものだ。

まあ、他がコアラや羊なので、彼女のおかげで我が家の毎日はとっても刺激的ではあるが。
家族の毎日TB : 0CM : 3
  [ 少年サッカー事情 ]
2008-06-23(Mon) 08:11:19
今日は2号の所属するサッカー部の練習試合が行われた。

ここではサッカーは割と人気のあるスポーツのようで、ヨーロッパで大きな試合のあった翌日など、運転手さんが寝不足の目をこすっていたり、路上で観戦する若者の様子が新聞に出てたりする。運転手さんは、週末ごとに仲間とサッカーに興じているようだ。道端では、裸足でサッカーしている子をよく見かける。
国技とも言われるバドミントンは、時々新聞には出ているが、実際にやっているのをあまり見かけることはない。屋内スポーツは庶民的ではないのかもしれない。

さて、やってきたのはインターナショナル(金持ちボンボン)チームと、地元サッカースクール(精鋭ぞろい)チーム。
人気スポーツとはいえ、スパイクを履き、揃いのユニフォームを着てゲームができる子どもなんて、ごく限られている。やっと集まった3チームで、リーグ戦&決勝戦を行った。

どちらのチームも貪欲さが全く違う。ファウル、タックルなんのその。
我が日本男子チームは、おとなしく育ちのよい坊ちゃんの集まりにしか見えない。そばを走りつつも手も足も出せず、むざむざ自陣に食い込まれていく様子は、まるで相手チーム(つまり日本チーム)からガードしてるかのようでさえある。

そんな彼らも、接戦の末破れ、3位に終わった時には、目を真っ赤に腫らして控席に戻ってきた。
(泣かしたのはきっと半分くらい監督=夫だが)

男の子の悔し泣きを久しぶりに見た。いいなあ。活きのいい魚みたいに、感情がピチピチ跳ねている。抱きかかえて頭をくしゃくしゃってしてやりたくなる。くしゃくしゃって。

私は、「治る怪我ならいくらでも」どころか「たとえ治らない怪我でもそこから学ぶことはたくさんある」主義だったのだが、この環境と年齢のせいで、最近はすっかり守りに入っている。昔、知り合いが「(一人娘に)しなくてすむ苦労はさせたくない」と言っていたのを聞いて、「そんなバカな」と思ったけど、たぶん苦労は買わないと思う。

でも、こんな涙さえ子どもに流させたくないと思うようになったら、親を引退した方がいい。子どものためにも。

夕陽


向かって走っていったら
よだかみたいに燃えてしまいそうな
南国の夕陽



インドネシア事情TB : 0CM : 3
  [ インドネシア人看護師(3) ]
2008-06-16(Mon) 17:23:08
記事の中には、ちょっと気になる部分もある。
2年前に試験的に受け入れたフィリピン人介護士さんの話。

彼女たちはホスピタリティーにあふれていました。大家族の中で生活していた方が多いので、高齢者をいたわる気持ちをすごく持っています。病棟に入院している患者さんたちを見て、「何で家族が見舞いに来ないんだ」「かわいそうだ」と話していました。

インドネシアの人も同じように家族意識が強いので、この話はよくわかる。
ここにもまた別の「意識の壁」がある気がする。
彼女らの価値観は、多様化の進んだ日本ではそぐわない場合が出てくるだろう。単純に「かわいそうだ」と見ることが、患者や家族を傷つけたり、パターナリズム(家父長的温情主義。保護や配慮はするが、権利は認めない態度)に陥ったりする可能性がある。
と同時に、彼女らのインセンティブ(動機、刺激、誘因)にも関わってくるだろう。

でもそれは裏を返せば、ここで婦長さんがホスピタリティーと表現しているように、「家族を大切にする素朴な優しさ」でもある。
Aちゃんのママも、「(衛生面はさておき)看護師さんたちはとても優しかった。」と言っていた。ナースコールも気兼ねなく押せたし、押すといつでもニコニコしてやってきてくれたそうだ。
(2つ前の日記のコメント欄参照)

インドネシア人の、長所が活かせて短所が補えるような、そんな人材育成・人材活用になるといいなと思う。それはきっと、日本の医療現場にもいい刺激になるはずだ。
インドネシア事情TB : 0CM : 2
  [ インドネシア人看護師(2) ]
2008-06-15(Sun) 10:00:40
Aちゃん入院話を聞いてからほどなくして、この記事を見つけた。

「将来を見据え外国人看護師受け入れ/医療介護CBニュース」
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/16455.html;jsessionid=6BAF709785C6D7E66146A52AD264F093

インドネシア看護師3名の受け入れを決めた東京の病院の婦長さんのインタビューが載っている。
受け入れは3年間。3年の間に看護師の国家試験(もちろん日本の日本語の)に合格しなければ、インドネシアに帰らなくてはならない。

まずAちゃんママも私も不安に感じていた、現場の研修体制について。(以下青字は記事からの抜粋)

6か月の日本語研修後に病院に来ても、すぐには直接患者さんにかかわるような業務ではなくて、周りの人たちと一緒に働いて環境に慣れてもらって、それから現場の仕事をしてもらうと思います。現場に入っても、すぐに患者さんの身体に携わる仕事ではなくて、環境整備とか洗面の介助などを誰かに付いてやっていただく形になります。単独で働いてもらうということは、しばらくないと思います。

う〜ん、すごい。でもこれって手がかかるだけでほどんど役には立たないってことだよね。病院の負担は相当大きいんじゃないのか?

わたしたちも、一人受け入れるにはどの程度お金が掛かるか試算しましたが、一人につき3年間で1千万円は掛かります。お給料を払い、日本語学校へ通わせ、国家試験の受験のために看護学校へ行かせて勉強をさせると、月に10万円以上余分にお金が掛かってしまいます。

それだけかけても、国家試験に受かる保障はないんだよね。なんでまたそんなにリスクの高いことを。

今後の医療現場で、少子・高齢化などにより間違いなく訪れる人材不足を念頭に置いて、今ではなく、将来について考えてみて決めました。
また、近い将来、よりグローバル的な環境になるのではないかと考えると、外国人、日本人と区別することも時代と合わないのかもしれません。そうしたことを考えて、他の医療機関に先駆けてやってみようと考えました。

わたしたちの病院は、多額の投資をしてでも人を育てていくという姿勢を持ち、実績を上げることでさまざまな人材を集められるようになれればいい、と考えています。
目先のことにとらわれるといい人材は集まらないし、人材を育てていくという発想を持つ必要があると思います。


ああ、どこぞの行政マンに聞かせたい。

この記事を紹介していたブログのオーナーも書いていたけど、インドネシアに近しい日本人のひとりとして、この病院には「受け入れてくれてありがとう」と頭を下げたい気分だ。
そして、派遣されるインドネシアの看護師さんには、後に続く後輩のためにも、ぜひともがんばってもらいたい。

もちろん、こんなことができるのは人員的にも経済的にも余力のある病院だろう。
実際、北海道ではそんな余裕もなく、気候的にも厳しいだろうということから、受け入れに手を挙げた病院はゼロだったらしい。
それはそれでしかたない。まずはできるところがすることが大事なのだと思う。この病院の英断を応援したい。
未分類TB : 0CM : 1
  [ インドネシア人看護師(1) ]
2008-06-14(Sat) 09:26:18
先週まで2週間、4号の一番仲良しAちゃんが腸チフスで学校をお休みしていた。

腸チフスというと、日本では新聞に載るような病気なので一瞬たじろぐが、それはあくまで防疫上の必要からである。ここではわりとよくある病気で、2月に幼稚園の先生もかかった。治療法も薬も確立されていて、だいたい一週間ほどの入院で完治するようだ。

ところが、その一週間の入院生活は、Aちゃんママには驚きの連続だったらしい。

ナースコールで呼ぶと、医療用手袋をしたままやってきて、そのまま作業に当たる。
排泄のお世話をした後、手を洗うこともなく点滴を操作する。
採血では、血管に針だけを刺し、その出口から垂れてくる血の滴を試験管で受ける。
「えーっ」と声を上げそうになること、一度や二度ではなかったらしい。

Aちゃんが入院したのは、外国人や華僑が利用するインターナショナル系高級病院である。そこでさえそうなのだから、ローカル病院は推して知るべし。ここでは誤診は当たり前なのだが、院内感染とか医療過誤とかもごまんとありそうだ。
(先日来、世界的に流行中の手足口病がここでも流行ったが、ローカル医に診てもらった子はアレルギーと診断されていた。手足口病そのものを知らないのではないかという話だった。)

「インドネシアから看護師さんが来るけれど、日本でやっていけるのかしら?」という彼女の不安は最もだと思う。

確かに、「意識」や「常識」の壁を越えるのは並大抵のことではないと思う。
私も、イスラムでは左手は禁忌だとわかっているのに、物の受け渡しについ左手が出てしまう(レベルはかなり低いが)。
看護師さんには、相当の努力が要求されるだろう。

と同時に、日本人側の壁も想像できる。
彼女のような経験があるならまだしも、先入観だけで見てしまう人がいないだろうか。日本人の中に、東南アジアへの差別意識はまだまだ根深く残っている。私の中にも。
患者側が看護師を選べるといいのかもしれないが、現実には難しいだろう。  

そのお互いの垣根を越えるには、制度や体制も大事だが、何より個人の知識や経験がものを言うと思う。彼女の今回の体験がそうであったように。

人は人の中で変わる。人によって変わる。自分で変わる。

記事

保健相が「批判されてイメージが悪くなる」という駄々っ子のような理由で
鳥フル死者数の発表を半年に1回にしたいと言い出し
世界中の専門家から反発を受けたらしい(そりゃそうだろ)
大臣が個人の努力をフイにするようなことしないといいけど



インドネシア事情TB : 0CM : 2
  [ 4号 作文を書く ]
2008-06-11(Wed) 08:02:47
(一枚目)
おうちにばななとまんごーをうえています。
きょうみがなっているとこをみました。
まだみどりだったけどうれしかったよ。
あと、がっこうにはまえうさぎがいたけどしんじゃったけどいぐあないるんだよ!!
にほんではめずらしいでしょ。
じゃあまたあとでね。
(二枚目)
おうちのばななとまんごうを はやくたべたいとおもいました。
がっこうにいくためのじゅんびをしていたらばなながなっていてびっくりしたあとわたしは
「ばなながなっとる」といいました。
やまぐちべんだけど わかりますか
わたしはそのあともいっぱいおんなじことばをこんなやまぐちべんでいいました
「すごいやんかいつみができたん」
こんどはまんごのおはなしをしてもいいですか。
まんごは、わたしはにがてだけどはやくみがなってほしいです。

******************************

これは、海外子女文芸作品コンクールに参加する作文を書くための練習だったようなのだが、どうも先生がした「日本の皆さんに読んでもらいます」という説明が影響したらしい。

そもそも彼女は、作文というものがわかっていないのかもしれない。
絵本を浴びるように読み聞かせて育てた1号は、気がついた時にはきちんと体裁の整った文章を書くようになっていた。
4号には当然、ほとんど読んだ覚えがない。

剪定された樹木も美しいけれど、野放図な感性がどう根を張り枝を伸ばすかも、また楽しみである。

家族の毎日TB : 0CM : 5
  [ 『下山事件(シモヤマ・ケース)』森達也 ]
2008-06-08(Sun) 14:21:16
テレビディレクターというより、すっかりドキュメンタリー作家という印象の強くなった著者。この本もルポルタージュというより、ドキュメンタリーだった。
「下山事件」という大ネタをめぐって、テレビ局や新聞社、出版社、またそこに所属するあるいはしない記者、編集者、ディレクター等々の絡み合う思惑が生み出す展開が、ある意味もうひとつのドキュメンタリーになっている。現在過去入り乱れて膨大な数の人物が登場するので、一気に読むのがオススメ。

「下山事件」は、戦後最大のミステリーとも言われている国鉄初代総裁下川定則の謀殺事件である。帝銀事件、松川事件など、当時相次いだ未解決事件のひとつだ。
戦後混乱期、日本が大きな渦に飲み込まれつつあった時代。GHQ、スパイ、謀略等々、きな臭いことばか並ぶ。都合の悪い誰かが簡単に消されたり、大きな権力の前に事実が握りつぶされたりした時代。すっかり現代っ子(?)の私には、遠すぎてピンと来ない。

ふと、マイケル・ムーアの『911』を思い出す。
イラン戦争に対する国民の支持を得るための、9・11テロ後のブッシュ政権のさまざまな情報操作を描いた映画。だが、その映画の側にもさまざまな情報操作が巧みに行われていたことはよく知られている。情報の取捨選択はもちろん、編集や効果で印象は簡単に変わる。それはドキュメンタリーと言えども例外ではない。ブッシュさんがより間抜けに見えるように。兵士がより悲惨で疲れて見えるように。プロの手にかかれば簡単なことだ。

読んでいると、「ピンと来ない」なんて呑気なことを言ってていいのかという気になってくる。あの戦後の渦の先に、確実に今の時代はある。
もしかしたら私たちはまだ渦の中にいるのではないか。情報はあふれているけれど、ホントのことは慎重に隠されているのではないか。北の国や世界の真ん中にあると思っている国を、「遅れた国だ」と蔑んでいる場合ではないのではないか。

私はこの筆者が好きだ。彼の、低い目線や独特の切り口が好きだ。
「子どもの頃からヒーローものには熱狂できなかった。勧善懲悪がダメなのだ。ヒーローにあっさりとやられる悪の結社の手下たちの日々の営みや心情を想像して、どうしてもストーリーに没頭できなかった。」という彼の感覚が好きだ。

だが、その彼も最近、この著書や映画『靖国』を巡る発言等によって、表現者としての信頼を問われている、とネットで読んだ。

そうか?そうか?ホントにそうか?ホントにそれは正しいのか?
疑え。疑え。自分の感覚さえも。そう、僕の言うことさえも。と著者は私に迫る。
VIDEO&BOOKSTB : 0CM : 2
  [ 金持ちのすることと言えば ]
2008-06-03(Tue) 09:40:21
これじゃわかりやすすぎだろう。yahoo!ニュースより。

[ジャカルタ 1日 ロイター] インドネシア人の作家Tung Desem Waringin氏が1日、書著のプロモーション目的で飛行機から現金1億ルピア(約113万円)をばらまいた。地上では貧しい地元住民が紙幣に殺到した。
同氏は、首都ジャカルタの西75キロのセランで現金をばらまき、主催者によると約500人が現金を手にしたという。
インドネシアでは数百万人が1日当たり2ドル(約210円)以下で生活している。
「ばらまき」は、当局からの許可を得られないまま強行された。


先日地元のじゃかるた新聞で、社会の格差がますます大きくなっているという記事を読んだ。
50億ルピア(約6千万円)以上の貯蓄がある人が2万6千人。10億以上になると15万4千人で、ここ3年で16%増らしい。
対して貧困層は昨年の3千7百人から4千6百人へ。全人口に占める割合は、16%から20%に増えているそうだ。
富裕層増加の理由は、鉱業やアブラヤシ農園の株価上昇だそうだから、今回の石油値上げで格差はもっと広がるだろう。

ちょっと日本人には想像しがたい格差である。
そもそも、今の日本には「貧困層」というものが存在しない。…とちょっと前までは自信を持って書けたが、これから先はわからない。ワーキングプア、年金制度の崩壊、社会保障制度の限界。日本の先行きも決して明るくない。

それでも、現大統領の支持率は50%。なんと就任時は80%だったらしい。

この、バカ高い支持率といい、極端な現金ばら撒きといい、インドネシアの人は良くも悪くもまだ夢を持っているのだなあと思う。
金持ちになって田舎に錦を飾るとか、ヒーローが世の中をよくしてくれるとか、おそらく高度成長期の日本が見ていた、そしてもう見なくなった夢だ。
こうして後進で発展していく国に、先進国の轍を活かすのは難しいのだろうか。いずれにしても、選んでいくのは、インドネシア自身だ。

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一番高額紙幣でも10万ルピア(約千2百円)だけど
感覚的には万札に近いかも
インドネシア事情TB : 0CM : 0
  [ キレイは誰のためですか? ]
2008-06-02(Mon) 09:53:21
エステ話に関連して。

先日、友人が貸してくれた『VERY』というマダム雑誌(?)に、こんなキャッチフレーズが載っていた。

『私のキレイが家族の幸せ』

見た途端、なぜか「うわあ」という気分になった。
一応言っておくけど、子育て中だろーが介護中だろーがキレイは大事だと思っているし、
私も子どもの頃、母を美人だと褒められるのは純粋に嬉しかった。
(その後「みわちゃんお父さん似ね」と言われるのには慣れた)

でもなんだか、キョーレツに押し付けがましく感じるのは私だけ?
これが今の考え方の「主流」なの?引っかかる私がマイノリティ?

原因のひとつは、所有格が『私の』から『家族の』へすりかわっていることだな。
「家族の幸せをお前が決めるな」と思ってしまう。
『オレの出世が家族の幸せ』って言われたら、ん?と思うのと同じだ。
『私のキレイは私の幸せ』じゃダメなのか。

ついでにこの号の特集はこんな感じ。
『記念日くらいキレイな妻だと感謝して!』
ご丁寧にその上に、
『世のご主人諸君。結婚記念日、誕生日。いくつになっても大切にするのが思いやりです』とも書いてある。

いやまあね、主婦業なんて昇進も昇給もない仕事を延々と続けてたら、「たまには感謝してよ!」って言いたくなる気持ちはよ〜くわかるけどさ。
なんでこんなフレーズにしたのか、表紙に書くことで何を狙っているのか。
『感謝して!』より『褒めて!』の方が、まだ現実的な効果(妻が気持ちに素直になれる効果、夫に訴える効果)はある気がする。
女性が堂々とキレイを謳歌するのに、なぜそこに「家族のため」という冠をかぶせる。
まったく、進化してるのか退化してるのかわからない。
この雑誌は、読者の女性たちをどこに連れて行こうとしているのだろう。
そんなことまで考えてないか。売れればいいんだもんね。

私が気に障るのはたぶん、ここに女性の依存性を見る気がするからだと思う。
それは私が私自身の中の依存性を自認しているからでもある。

友人のブログで紹介されていたイギリスの精神分析学者・フェアバーンのことば。
「人間は依存から自立に向かって発達するのではなく、未熟な依存から成熟した依存へと発達する」

未熟な依存と成熟した依存の違いってなんだろう。
依存の自覚があるかどうかも、大事なポイントだと思う。
まずは雑誌の文句を真に受けないことが、成熟した依存の第一歩かもね。

水着

家族じゅうの制止を振り切り
なぜか水着とズボンで就寝する4号
どうせならこのくらいの
こだわりと覚悟を持っていたいものです
ここで思うことTB : 0CM : 4

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