エステ話に関連して。
先日、友人が貸してくれた『VERY』というマダム雑誌(?)に、こんなキャッチフレーズが載っていた。
『私のキレイが家族の幸せ』見た途端、なぜか「うわあ」という気分になった。
一応言っておくけど、子育て中だろーが介護中だろーがキレイは大事だと思っているし、
私も子どもの頃、母を美人だと褒められるのは純粋に嬉しかった。
(その後「みわちゃんお父さん似ね」と言われるのには慣れた)
でもなんだか、キョーレツに押し付けがましく感じるのは私だけ?
これが今の考え方の「主流」なの?引っかかる私がマイノリティ?
原因のひとつは、所有格が『私の』から『家族の』へすりかわっていることだな。
「家族の幸せをお前が決めるな」と思ってしまう。
『オレの出世が家族の幸せ』って言われたら、ん?と思うのと同じだ。
『私のキレイは私の幸せ』じゃダメなのか。
ついでにこの号の特集はこんな感じ。
『記念日くらいキレイな妻だと感謝して!』ご丁寧にその上に、
『世のご主人諸君。結婚記念日、誕生日。いくつになっても大切にするのが思いやりです』とも書いてある。
いやまあね、主婦業なんて昇進も昇給もない仕事を延々と続けてたら、「たまには感謝してよ!」って言いたくなる気持ちはよ〜くわかるけどさ。
なんでこんなフレーズにしたのか、表紙に書くことで何を狙っているのか。
『感謝して!』より『褒めて!』の方が、まだ現実的な効果(妻が気持ちに素直になれる効果、夫に訴える効果)はある気がする。
女性が堂々とキレイを謳歌するのに、なぜそこに「家族のため」という冠をかぶせる。
まったく、進化してるのか退化してるのかわからない。
この雑誌は、読者の女性たちをどこに連れて行こうとしているのだろう。
そんなことまで考えてないか。売れればいいんだもんね。
私が気に障るのはたぶん、ここに女性の依存性を見る気がするからだと思う。
それは私が私自身の中の依存性を自認しているからでもある。
友人のブログで紹介されていたイギリスの精神分析学者・フェアバーンのことば。
「人間は依存から自立に向かって発達するのではなく、未熟な依存から成熟した依存へと発達する」未熟な依存と成熟した依存の違いってなんだろう。
依存の自覚があるかどうかも、大事なポイントだと思う。
まずは雑誌の文句を真に受けないことが、成熟した依存の第一歩かもね。

家族じゅうの制止を振り切り
なぜか水着とズボンで就寝する4号
どうせならこのくらいの
こだわりと覚悟を持っていたいものです