笑門来福ジャワ島日記

5児の母のインドネシア通信
  [ 『下山事件(シモヤマ・ケース)』森達也 ]
2008-06-08(Sun) 14:21:16
テレビディレクターというより、すっかりドキュメンタリー作家という印象の強くなった著者。この本もルポルタージュというより、ドキュメンタリーだった。
「下山事件」という大ネタをめぐって、テレビ局や新聞社、出版社、またそこに所属するあるいはしない記者、編集者、ディレクター等々の絡み合う思惑が生み出す展開が、ある意味もうひとつのドキュメンタリーになっている。現在過去入り乱れて膨大な数の人物が登場するので、一気に読むのがオススメ。

「下山事件」は、戦後最大のミステリーとも言われている国鉄初代総裁下川定則の謀殺事件である。帝銀事件、松川事件など、当時相次いだ未解決事件のひとつだ。
戦後混乱期、日本が大きな渦に飲み込まれつつあった時代。GHQ、スパイ、謀略等々、きな臭いことばか並ぶ。都合の悪い誰かが簡単に消されたり、大きな権力の前に事実が握りつぶされたりした時代。すっかり現代っ子(?)の私には、遠すぎてピンと来ない。

ふと、マイケル・ムーアの『911』を思い出す。
イラン戦争に対する国民の支持を得るための、9・11テロ後のブッシュ政権のさまざまな情報操作を描いた映画。だが、その映画の側にもさまざまな情報操作が巧みに行われていたことはよく知られている。情報の取捨選択はもちろん、編集や効果で印象は簡単に変わる。それはドキュメンタリーと言えども例外ではない。ブッシュさんがより間抜けに見えるように。兵士がより悲惨で疲れて見えるように。プロの手にかかれば簡単なことだ。

読んでいると、「ピンと来ない」なんて呑気なことを言ってていいのかという気になってくる。あの戦後の渦の先に、確実に今の時代はある。
もしかしたら私たちはまだ渦の中にいるのではないか。情報はあふれているけれど、ホントのことは慎重に隠されているのではないか。北の国や世界の真ん中にあると思っている国を、「遅れた国だ」と蔑んでいる場合ではないのではないか。

私はこの筆者が好きだ。彼の、低い目線や独特の切り口が好きだ。
「子どもの頃からヒーローものには熱狂できなかった。勧善懲悪がダメなのだ。ヒーローにあっさりとやられる悪の結社の手下たちの日々の営みや心情を想像して、どうしてもストーリーに没頭できなかった。」という彼の感覚が好きだ。

だが、その彼も最近、この著書や映画『靖国』を巡る発言等によって、表現者としての信頼を問われている、とネットで読んだ。

そうか?そうか?ホントにそうか?ホントにそれは正しいのか?
疑え。疑え。自分の感覚さえも。そう、僕の言うことさえも。と著者は私に迫る。
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  [ 『東電OL殺人事件』佐野眞一 ]
2008-05-01(Thu) 20:14:42
普段はミステリーを読むことが多いのだけど、ルポルタージュも好きな分野である。

今から約10年前に起きたこの事件、あんまり記憶になかった。
エリートOLが夜の商売に手を染めていたというのでマスコミが大騒ぎをしていたことと、逮捕された外国人が無実を訴えていることくらいしか知らなかった。
改めて読んでみてびつくり。
「事実は小説よりも奇なり」ってこのことか。これが小説だとしたら、リアリティがなさすぎると一笑に付されるに違いない。

殺された女性の生活は、「昼と夜の顔」なんていう、松本清張の小説にでも出てきそうなミステリアスなことばで表現できるようなもんじゃなかった。
昼は、東電の経済調査室副室長、つまり、女性管理職でもあるエコノミストとして、経済論文を書いたり政府のエネルギー政策に関わるような仕事をしたりして、推定一千万もの年収を得ている。
その一方で、夜はラブホテル街として有名な円山町の路上に立って客を引く。駐車場や路地でもかまわず事に及び、2千円で通りすがりの外国人を相手にすることさえあったという。平日でも4人以上(!)の客をとってから、終電で帰宅していた。
標高差5千メートルくらいの落差である。
この壮絶というほかない「仕事ぶり」は、とても副業やアルバイトと解釈できる範囲ではない。他にも、彼女の奇行の数々が挙げられているが、この「仕事」もまた「奇行」に近いと思う。「強迫症」めいたものさえ感じる。
その果てに、「仕事場」近くの古いアパートの空室で、他殺体で発見された。当時39歳。

犯人として逮捕されたのは、そんな彼女の客のひとりだった不法就労のネパール人だ。
疑わしい証拠もある一方で、彼を犯人とするには無理がある状況もまたある。彼は一貫して無実を叫び続け、結局一審では無罪判決が出た。本書はこの時点で上梓されている。
その後、2審で逆転有罪、無期懲役(金目当ての強盗殺人と認定されたので)が言い渡され、最高裁で上告棄却。弁護側からは再審請求が出され、現在に至る。
つまり、事件はまだ解決していない。

ルポルタージュとして読むには不満が残る。
著者の思い入れがあまりにも強いからだ。
まあ、対象に入れ込まなければ、400ページ以上のルポを書き上げるだけのエネルギーを維持できないのかも知れないが、それにしても、「ど、どうした佐野?」と言いたくなる。
被害者については「黒いヒロイン」「汚れた聖母」「現代の巫女」ということばを用いている。あがめている、と言ってもいいかもしれない。読んでいてちょっと引く。
ところが、「なぜ彼女はそんなことを?」という、人がこの本を手に取る動機の大半を占めると思われる疑問の解明については、真相に迫るどころか、のぼせた著者とともに迷路に迷い込むだけ迷い込んで、置いてけぼりにされてしまう。
曇ったガラスの向こう側からのぞいているようなもどかしさ。そこに見えるものの正体がやすやすと他人にわかるとは思わないけど、ルポルタージュには多少なりともその曇りを晴らすことを期待したい。
事件の特性や事件後時間がたってないことなどから、遺族をはじめ関係者の証言がほとんどとれてないことが大きな敗因と思われる。そのため、本書の多くは裁判やネパール取材など、被疑者についての著述に裂かれている。

その被疑者についても同様。「彼は無罪だ」という思い込みが強すぎて、読みながら何度も突っ込みを入れてしまう。
彼を犯人に仕立てようとする警察の裏工作を暴くあたりは、ジャーナリストの本領発揮。
「業界の常識は世間の非常識」。食品の偽装表示の例を見ても、世間は「まさか」と思うことが、業界では「よくあること」で通っていたりする。ここに書かれているようなことが、警察で当たり前に行われているなら、私たち一般市民は何を信じたらいいのか、途方に暮れる思いがする。
ただし、警察が多少強引だからといって、彼の罪が冤罪だということには直結しない。やっぱりもう少し冷静な論理の展開を読みたい。

というわけで、被害者と同性同年代の私としては、不完全燃焼な1冊だった。このまま事件が風化するのはあまりにも残念。誰か、クールな女性ルポライターが書いてくれないかなあ。
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  [ それは誰のためですか? ]
2008-03-09(Sun) 12:12:55
ここのところ、続けて東野圭吾を読んだ。『手紙』『秘密』『宿命』『容疑者Xの献身』。

ものすごく乱暴に人間をいくつかのタイプに分けるとする。表と裏、動と静、陽と陰。
たぶんこの人と私、まったく対極にいるんじゃないかという気がした。
いや、正確に言えば、物語の登場人物と私が。

これらの話の主人公たちは、自分の守りたいもののために、愛する人や夢をあきらめたり、家族や自分の人生そのものさえ犠牲にしたりする。
それが、フィクションだとわかっていながら「ホントにそんな選択しかなかったのか…」と延々考えてしまうような、あまりにもせつなく悲しい選択。「『どっちもハッピー』なんてそう簡単にはありえない。何かを守るためには、何かを犠牲にしなくちゃならない。それが究極の愛だ」というテーマが見える。

私たちは、「自分に正直に」とか「話せばわかる」とか「私は私らしく」とか、「正々堂々」「真っ直ぐ」であることはよいことだと教えられてきた。
東野圭吾は「ホントにそうか?」と問いかける。大事なものをそれで守りきれるか?と。
それは一見しんどいことのようで、実は「一番選びやすい道を選んでいるだけ」なんじゃないかという。
どんな困難にぶつかっても、「自分は正しい」と思える。自分につらく当たる周囲の方が間違ってるんだと思える。それは、実はつらくもなんともない状況なのではないか。誰かのためと言いながら、実は自分のための選択なのではないか。
ホントにつらいのは、つきたくない嘘をついたり、誰かと縁を切ったり、自分では納得がいかないことを選ばざるを得ないことなのではないかと。

翻って自分のことを考える。
「出る杭は打たれる」「当たって砕けろ」その手のことばそのまんま、打たれたり砕けたりすることが多い。それはそれでしんどいが、それが私の役割だと自分で勝手に思っていた。
でも、ホントはたぶん自分がそうしたかっただけなのだ。もちろん、それがちゃんと世の役に立っているなら問題はない。
だが。
開拓者きどり、革命家きどりで、出て当たって気持ちよかったのは、私だけではなかったか。
知らないうちに周囲に、砕けた後を拾って歩かせたり、打たなきゃならない嫌な役目をさせていたりしたのではなかったか。
自分にとって耳ざわりのよいことばやアドバイスだけを、聞き入れてきたのではなかったか。
自分がひとりで道を開いているかのような、傲慢な態度がにじみ出ていたのではなかったか。

若いうちはそれでもいいと思う。勢いが大切な場面もあると思う。
でもいくらなんでも今の私は、「思ったとおりにやってごらん!」で許される歳は過ぎていると思う。
このままではそのうち、「思ったとおり」にしかできなくなって、「もう変われないよね」と言われる歳になってしまう。

そのゴールは、私の単なる思い込みや独りよがりじゃないか。そのやり方でちゃんと描くゴールにたどり着けるのか。一番大事なものは何で、そのために捨てなくちゃならないものは何か。冷静に考えられるようになりたい。
小説の主人公のように美しくはいかないかもしれない。でも、ただ「私流」を貫くのではなく、その考察の上で「私なりのやり方」を探せるようになりたいと思った。

…やっぱりあきらめは悪いかも。

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  [ 『どろろ』 ]
2008-02-17(Sun) 08:53:22
ニュージーランドの荒涼とした風景やフラメンコの音楽をバックに、妖怪たちと戦う妻夫木聡はかなりかっこよかったし、美しさをかなぐり捨てた柴咲コウの美しさもよかったけれど、
いかんせん。

妖怪のCGや着ぐるみやアクションがちゃち過ぎる。
仮面ライダーかウルトラマンの戦闘シーンを見てるみたいだった。

子どもに見せるにはグロテスクな場面が多いし(怖がりの子にはかなりショッキング。私もうちの女子には見せられなかった。のちのちトイレにつき合わされるのは私なので)、大人が見るにはVFXの作りが粗すぎる。
一体どうしたいんだ、という映画。

それにしても、こんな話を考えた手塚治虫ってやっぱりすごいなあ。←そこかい
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  [ 『海猿』 ]
2008-01-09(Wed) 08:08:34
今回見たのは一番初めの映画。すごく楽しめました。

『TOP GUN』を代表とする養成所もののセオリー通り、主人公の周りには、ちょっと粗いけど気のいい仲間たち、クールなエリートのライバル、トラウマを持つ鬼教官、そしてキレイで気の強い恋人。
んでもって繰り広げられる、夢、友情、恋、仲間の死、挫折、試練、成長。
まるで、「リポビタンD」のCMをそのまま映画にしたかのようです。

娯楽映画はこのくらい単純なのがいいと思います。そんなにお金はかかってない(かけられない)のだろうけど、海保が全面協力したという映像は十分に迫力があるし、水中のシーンも緊迫感がある。男子はみなかっこよく、女子はみな美しく。ドキドキして、ハラハラして、ホロリときて、最後はニッコリして、あ〜面白かった!って心から思えます。

例えば、初めてのデートなんかで見るにはぴったりだね。これを見て「リアリティが云々」なんて小難しいことを言い出すような男は、ちょっと考えた方がいい。一緒にいて人生を楽しめない気がする。でも、これ見て「潜水士になるぞ!」って言い出す男もどうかな。実際、一連の『海猿』が流行った年、海保の志望者が激増したらしい。私は、そんな能天気さは嫌いじゃないけどね。

個人的には、大学時代に何度か訪れた呉港の風景が懐かしかったです(遠い目)。

まだ「TVドラマではありえないほどの高い完成度」だったらしい連続ドラマ版と、映画第2弾のDVDが私を待っています。わくわく。
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  [ 『働きマン』 ]
2008-01-08(Tue) 10:49:02
安野モヨコの圧勝。漫画はヒューマンものなのに、ドラマはヒーローものになってました。

モヨコ大好きの友人が、日本から送ってもらったという最新4巻のみと、ドラマのDVDを貸してくれました。
DVDは、正月にバリで見つけたそうです。昨年10〜12月に日本で放送されていたドラマが、もうDVDになって海外の店頭に並んでいる(さすがに前半6話分でしたが)なんて、すごいでしょ。やっぱり人間の欲望は底なしですな。

ドラマは、キャストもいいし、原作の特徴でもあるインタビュー型心情表現もうまく取り入れられてると思うのに、なんだか薄っぺらいのはなんでかしら。
悩んだり迷ったりしても次のシーンではケロッと仕事してたり、三日三晩徹夜で仕事した割に化粧ひとつ崩れてなかったりするせいか?それともやっぱりあの変身シーンのせいか?
主人公は、私生活や人間関係の疲れを仕事で癒してる。現実逃避と紙一重だけど。その気持ちはよく分かるけどなあ。ん?そんな人間、あんまりいないのか?

一方、漫画では仕事や人生のグルグルぶりもたっぷり。カタルシスさえ感じます。
作者の描写力も手伝って、時間空間人間を自由自在に切り取る漫画ならではの表現がとっても活きてます。同じ方法ではドラマはとてもかなわない。ドラマならではの、つまりは「生人間」の魅力ってなんでしょうね。

あ、最後の「働きマン音頭」は、我が子にはオオウケでした。
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  [ 『天使の囀り』貴志祐介 ]
2008-01-07(Mon) 15:01:43
友人が涙目で「こんな内容とは思わなかった」と言いながら、まるで持ているとソレに感染してしまうかのごとく、「もう返さなくていいから」と逃げるように置いていった本。
確かに怖い。しかも、アマゾン奥地に始まり、ギリシャ神話からバイオまで、憑依からカルト集団まで、恐怖の要素は幅広く、締めくくりはスプラッター(?)。感受性や想像力の豊か過ぎる人は読まない方がいいかも。グロ好きなよしこちゃんにはオススメよ。

私は『黒い家』の方が怖かったかな。『黒い家』で主人公が追い回されるラストは、久々にホントに「手に汗」かいたもの。
こっちは主人公の女性が優等生過ぎて、イマイチ感情移入できなかった。そういや『黒い家』に出てきた主人公の彼女もそんな感じだったな。作者の好みかな。
というか、私の方がこんな女性があまり好きじゃないのかもしれない(笑)。

なんだか背筋がぞっとしたのは、準主人公の青年がネットで検索する少女ポルノをはじめ様々なポルノ画像や、主人公の恋人が集めていた殺人ビデオや死体写真集の描写。

恐ろしい場面や気持ち悪い場面は本筋に山ほど出てくる。それらは、リアリティはあるけど実感はない。でも、これらの挿話は、すぐそばにころがっている実感がある。

「個人の趣味の範囲」「誰にも迷惑かけてない」「『怖いもの見たさ』は人間の本能」「表現の自由」「性的嗜好の自由」…
そりゃそうなんだけどさ。

人間の欲望には限りがない。インターネットの普及により、いろんな情報が簡単に手に入るようになった。見たくても見れなかったものが見られる(しかも誰にも知られず、時に無料で)。見なくて済んだものも見てしまう。

それはどこで歯止めがかかるのだろう。
例えば、見たいとも思わない人が30%、見た途端にダメな人が30%、初めは面白がって見るけどそのうち飽きてしまう人が30%として…見ることで疑似体験して実行への壁が越えやすくなってしまう人や、見てるだけじゃ物足りなくなる人が残り10%くらいいたりしないんだろうか。
その深さに関わらず「見たい」70%の人たちの「見たい、見たい、見たい」は、どこまで見たら気が済むのだろうか。

そして今日も、それらのビデオや写真のために襲われる少女や殺される外国人が、世界中のどこかに実在するのだ。見たがる人がいる限り。

「人間の想像力が作り出した闇の領域は,昏くはあっても,けっして真空のような『虚無』ではない。それは,人間が真の闇に直面するまでの緩衝地帯としての役割を担っていた。それなのに我々は,自らを守ってくれていた優しい闇を駆逐してしまったのだ」(本文より)

やっぱり一番怖いのは人間だよね。
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